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蔵とラーメンのまち喜多方
喜多方市は福島県北西部に位置し、北は山形県米沢市に隣接、西は車で1時間ほどで新潟市、南は城下町会津若松に囲まれた人口4万8千人(平成29年現在)ほどの小さなまちです。
西の倉敷、東の喜多方と呼ばれるほど喜多方には蔵が多く残されており、その数は4,000棟あまりと人口比日本一の数を誇ります。また、喜多方のまちはラーメンのまちとしても全国的に知られ市内のラーメン店の数は120店舗とこちらも人口比日本一を誇っています。
近代の歴史を振り返ると、明治8年(1875年)の市町村合併により耶麻郡喜多方町が生まれ、その後昭和29年(1954年)喜多方町と松山、上三宮、岩月、関柴、熊倉、豊川、慶徳の7村が合併し、喜多方市が誕生しました。合併直後の昭和30年が喜多方市人口のピークで4万3千人ほどの住民がいましたが、その後の交通網の発達と都市部への人口集中により、人口は減少の一途をたどり平成の大合併の前の平成17年には人口3万6千人あまりとなりました。平成18年の合併では、塩川町、山都町、熱塩加納村、高郷村と1市4町村の合併を行い現在の喜多方市となっています。
喜多方市は会津若松市が城下町なのに対し、商人のまちとして呼ばれることが多くあります。代表的な産業としては、清酒、味噌、醤油などの醸造業がさかんである他、漆器の生産地でもあります。明治13年に喜多方のまち全体が燃えてしまうような大火があり、その際に土蔵が焼け残ったことから、まちの人々は蔵が大切なものを守ってくれるということで、競い合って蔵を建てるようになりました。昭和の頃までは「男一代、蔵のひとつも建てられなければいっちょまえ(一人前)ではない」と言われたほどです。
そんな蔵のまち喜多方が全国から注目されるようなまちになったのは、1975年(昭和50年)にNHKの新日本紀行という番組で「蔵ずまいの町」として紹介されたのがきっかけです。一般的に蔵というと倉庫をイメージすると思いますが、喜多方の蔵は「店蔵」「座敷蔵」「塀蔵」「厠蔵」など様々な用途で日常で利用されています。そんな蔵と密着した生活をTV番組で取り上げられたことから「蔵のまち喜多方」ということで観光客が訪れるようになりました。
そして「蔵のまち喜多方」を訪れた観光客の方々がお昼に食べたのが食堂のラーメンで、これが美味しいということで喜多方ラーメンの知名度が上がっていきました。昭和50年当時でも喜多方市内には100軒ほどのラーメン店があったと記録されています。
そんな喜多方のまちで坂内食堂は昭和33年5月に創業しました。当時は初代の新吾と妻のヒサの二人で営業していました。創業当時のラーメンの値段は1杯40円でした。それでも当時、一杯のあつあつラーメンは市民にとって一番のご馳走だったのです。
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